【なぜ】男闘呼組の再結成理由はセッションがきっかけ!解散から再始動まで時系列まとめ

タレント

男闘呼組(引用:「男闘呼組」公式サイト)

1988年にジャニーズ事務所からデビューした『男闘呼組』。人気絶頂だった1993年に突然の活動休止となり、世間を驚かせました。

それから約29年の時を経て、2022年7月に期間限定での再結成が発表され、ファンからは歓喜の声があがっています!

『男闘呼組』がなぜ再結成することになったのか。その理由は、メンバー同士の再会と27年ぶりに実現したセッションにありました。

この記事では、『男闘呼組』が再結成することになった理由と経緯を詳しくお伝えしていきます。また、メンバーそれぞれの再結成に対する思いもまとめてみました。

再結成したのはなぜ?理由と経緯は

10年以上音信不通だった成田との再会

1993年6月『男闘呼組』の活動休止後、メンバー4人で会ったことは一度もなかったそうです。

岡本、前田、高橋の3人は、活動休止後もそれぞれで音楽や舞台などの芸能活動を行っていましたが、成田は自身の不祥事もあり芸能界を引退。

成田の連絡先を知っているメンバーがいなかったためそこから音信不通の状態になってしまったようです。

何年もの時が経ち、メンバーが「もう二度と会うことはないんだろうな…」と思っていた中、高橋が昔お世話になった方からたまたま成田のアドレスを入手し、メールを送ることができたのです。

当時のやりとりについて、高橋はこのように語っています。

“元気?和也だよ”って送ったけど1週間くらい連絡なかったんですよ。昭次が会いたくないのかなって思って、あんまりぐいぐい押してもいけないし…すごい気を遣ったけど、1週間して“和也、久しぶり。元気だよ”ってLINEが来て。うわーっ!ってなって」と思わず他のメンバーにも成田と連絡がとれたことを報告したという。

(引用:Sponichi Annex)

成田はこれまで消息不明とまで言われていたので、高橋の連絡がつながった時の喜びがひしひしと伝わりますね。

その後、岡本にもメールアドレスを共有し、ここから成田昭次との交流が再開したのです。

止まってしまっていた4人の時間が動き始めたような感覚だったのではないでしょうか。

『ロックよ、静かに流れよ』記念上映会で蘇った感覚

ロックよ静かに流れよ

2019年5月、男闘呼組の主演映画『ロックよ、静かに流れよ』の30周年記念上映会が池袋HUMAXで行われました。

この時のチケットは即完売だったようです。26年の時を経てもなお『男闘呼組』の人気の高さが伺えますね!

当然、岡本登壇時はファンも大興奮!ファンの声援を受けた時のことを岡本はこのように語っています。

血が騒ぐっていうか、「こんな感じだったな」って思い出した。それで長崎さんと話しながら、「あの映画が男闘呼組を作ったんだな」と実感して。撮ったのは17、18歳ぐらいの時だったけど、ジャニーズとして音楽とか芝居とかバラエティとかいろんなことやって、その中でも、僕らは楽器でなんとかデビューしようと思いながら、難しさも感じていた時期だった。だけど、あの映画で不良少年の役をやったことによって、「こうやって生きてもいいんだ」って思えたというか…。自分たちの不器用な生き方を肯定できた気がしたし、初めて自分たちのありのままをさらけ出せた気がしたんだよね。ま、要するに僕らは根っこが不良だったんですよ。

(引用:日経クロストレンド)

男闘呼組のメンバーにとって、この映画は「生き方」そのものを映した作品だったのですね。

岡本自身も、映画を見ながら感極まり涙してしまったそうです。

また、上映会の前に成田から「僕にとってもこの映画は誇り」という言葉を聞いていた岡本は、この言葉を成田からのメッセージとしてファンへ伝えました。

これにファンは歓喜!ツイッターでは、「健ちゃんは昭次と連絡取り合ってる事がわかり、嬉しかったです」「昭次&男闘呼組の復活を願ってます!!」との声があがりました。

この上映会は、彼らが青春時代を振り返り、音楽を届けファンを楽しませる「アイドル」としての感覚を蘇らせた重要な出来事だったのではないでしょうか。

ジャニーさんのお別れ会で岡本と成田が再会

2019年9月、ジャニー喜多川さんのお別れ会が東京ドームで行われました。

その際、岡本が成田へも招待状を送り、成田も出席することに。そこで27年ぶりに2人が再会できたのです。

当時お別れ会に参加していた正木慎也さん(「忍者」の元メンバー)が、お別れ会での成田との再会をツイートして話題になっていました。

このツイートを見たファンは感激!ネット上には「昭次の元気そうな姿が見れて嬉しすぎて言葉になりません」「ファンにとっては本当に奇跡です」「感謝でいっぱいです」などたくさんの喜びの声があがっていました。

のちに4人は再会について「ジャニーさんが引き合わせてくれた」とも語っています。

この再会が、再結成への大きな一歩となったことは間違いないでしょう。

前田と成田の再会。そしてカラオケで『男闘呼組』の曲を熱唱

お別れ会で成田と会えなかった前田は、後日成田が住んでいる名古屋で会う約束をしたそうです。

その時のやりとりは以下のように報じられています。

「久しぶりに会った時はものすごく恐縮してて、音信不通になって申し訳ないって感じでしたね。でも、そんなことより会える喜びの方が強いから、いいんだよそんなこと!って。むりやりその日カラオケ連れていって、男闘呼組歌わせました」と苦笑。さらに「僕がカラオケ歌わせた次の週に健一が仕事で名古屋行ってて、昭次と会ったらしいんですよ。それで昭次が“先週、耕陽にカラオケ連れていかれた”って言ったらしくて、健一が俺とも行こうよ!って」と岡本も立て続けに成田をカラオケに連れ出した。「健一ともカラオケ行ったら、昭次まだ全然いけるじゃんって。それで、男闘呼組もう一回やろうよってなった」と成田の声が衰えていなかったことで再結成の話が加速したという。

(引用:Sponichi Annex)

岡本いわく、成田の歌声は以前より渋みを増していたとのこと。歌声を聞いて「また4人でスタジオに入りたい!」と思ったのだとか。

それにしても、久しぶりに会ってそのままカラオケに行って歌わせてしまうなんて、やんちゃな男闘呼組らしいですよね!

このカラオケの一件が再結成への思いを大きく膨らませたのですね!

27年ぶりに実現したセッションが再結成の決め手に

2020年8月、27年ぶりにメンバー4人がそろい、名古屋のスタジオでセッションを行いました。

6時間で「DAYBREAK」と「TIME ZONE」を含めた7曲を演奏し、お互いの歌声と音色を確かめ合ったのだとか。

27年ぶりの再会・演奏にも関わらず、「すげぇいい!」「楽しい!」「まだ全然いける!」と感じ、終始大興奮だったそうです。

また、成田はセッションの感想をこのように語っています。

面白かったのは、リハや演奏の癖が昔のままだったこと。健一は相変わらずめちゃくちゃ音がでかくて、和也は淡々と自分のベースとアンプの調整をしていて。耕陽もセッティングの仕方とか全然変わってなくて、それにまず感動しました。

(引用:日経クロストレンド)

この時に岡本は「男闘呼組を再始動させる!」と心に決めたそうです。

4人が集結し昔と変わらない歌声と音色を重ねられたことで、『男闘呼組』再結成への思いが溢れたのではないでしょうか。

TBS「音楽の日」で待望の再結成が実現

 

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(引用:成田昭次インスタグラム)

そして、29年間の長い時を経て、2022年7月22日に放映されたTBS番組「音楽の日」でついに『男闘呼組』の再結成が実現しました!

4人はサプライズゲストとして登場し、そこで「DAYBREAK」「TIME ZONE」「パズル」を熱唱。

ツイッターでは『男闘呼組』がトレンド入りし、ファンからは多数の喜びの声があがりました。

『男闘呼組』の変わらない魅力が、令和の世の中に伝わった瞬間ですね!

 

『男闘呼組』再結成についてメンバーそれぞれの思い

再結成に至るまで、それぞれ別々の道を歩んでいた4人。

『男闘呼組』として帰ってくることについてどのような思いを持っていたのでしょうか。

4人それぞれについてまとめてみました。

岡本健一は再結成はないと思っていた

 

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唯一現在もジャニーズ事務所に所属している岡本は、音楽活動や舞台などでそもそも多忙。

男闘呼組の活動に充てる時間はないし、興味もなかったよう。

しかし、成田の歌声を聞き「いける!」と思ってからは、再結成に向けて一番動いたのは岡本でした。

成田が東京で音楽活動ができるように、芸能事務所の社長へ成田を紹介したこともあったそう。

その行動力には他の3人も圧倒されるほどだったといいます。

また、『男闘呼組』の再結成にはジャニーズ事務所からの許可が必須です。

事務所側とのやりとりも、岡本が主体となって行っていたに違いないでしょう。

成田昭次は、過去の不祥事で迷惑をかけたくない思いが

 

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(引用:成田昭次公式インスタグラム)

成田は、2009年9月に乾燥大麻を保持していたことにより現行犯逮捕され、懲役6月、執行猶予3年の判決を受けていました。

その後も、離婚やリストラ、勤務先が火事になり無職になるなど波乱万丈な人生を送っていたようです。

そのため、自分の過去のことでメンバーに迷惑をかけることがあってはいけないという思いがあり、最後まで再結成をためらっていました。

再結成を悩む成田に対して、岡本はこのような思いを伝えたと報じられています。

人に見られなくても地道な安定した人生と、もう一度ギター弾いてお客さんの前に立って俺たちと一緒に音楽やる人生が二つあるとしたら、昭次にはもう一度ギター弾いてお客さんの前に立ってほしいっていう思いがあった

(引用:Sponichi Annex)

こんなにも熱いメッセージを伝えられて、心が動かされない人はいないはず!

最終的に成田は岡本の熱意に押され、再結成を決意し名古屋から東京へ出てくることになりました。

前田耕陽は練習と体型維持に熱心

 

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(引用:前田耕陽公式インスタグラム)

前田の妻で漫才師海原ともこによると、前田は「再結成のライブを前に、家でメチャクチャ練習してた」とのこと。

また、他の3人に比べて少々ふっくらしていることを気にしてか、

『俺の腹のせいや』とか言って、おなかにいろんなもん巻いて自転車に乗っている

(引用:日刊スポーツ)

とのこと。

何事にも全力投球な前田さん。間違いなく「イケオジ」だと思います!

高橋和也は再結成を熱望していた

 

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(引用:高橋和也公式インスタグラム)

『男闘呼組』の再結成を誰よりも願っていたのは高橋でした。

自身の出演映画「追想ジャーニー」に関するインタビューにおいて、高橋は以下のように語っています。

高橋は活動休止後も何度も男闘呼組の夢を見てきたという。10月のライブでも客席へ向けて喜びを爆発させた。「絶対に起こらない、無理だと思っていましたから。でも、ずっと願っていたことが現実になってものすごく幸せです」と語り「だから精いっぱい全力で4人で駆け抜けようと思っています。よく夢に見たのは、心の底でもう1度みんなとやりたいというのが表れていたんじゃないかなと。当時はそういう状況じゃなかったから絶対無理だと思っていたし、でも今こうして現実になっているのは本当に幸せなことですよね」。

(引用:日刊スポーツ)

再結成からの1週間は「夢の中だった」とも語っている高橋和也さん。

『男闘呼組』への愛とどれだけ再結成を望んでいたのかが伝わってきますね!

まとめ

ここまで『男闘呼組』再結成の理由とエピソードをまとめてきました。

まさにドラマのような再会~再結成で胸が熱くなってきます!

『男闘呼組』は2023年8月末までの期間限定の再結成となりますが、これから全国ツアーと武道館ライブが待っています。

30年前よりもさらに絆が深まり、しぶくかっこよくなった『男闘呼組』から目が離せません!

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